ヴェネツィアのカーニバルとその壮大な仮面の興味深い歴史

ヴェネツィアのカーニバルの参加者2人が、仮面とコスチュームを着てサン・マルコ広場でポーズをとる

ヴェネツィアのカーニバルの祭典と歴史は、その壮観な展示、伝統、衣装においてユニークです。イタリアのほかの都市でもカーニバルを祝いますが、ヴェネツィアのカーニバルは特別です。最も人気があり、手が込んでいます。カーニバルの特徴は、仮面やパレード、ショー、パーティーです。ヴェネツィアのカーニバルの最も興味深い側面の1つは、独自の歴史を持つ仮面です。

壮大なヴェネツィアのカーニバルは約2週間続きます。カーニバルの日程は毎年変わりますが、1月末から3月上旬までの期間で開催されます。ヴェネツィアのカーニバルは、その美しさと何世紀にもわたる伝統と歴史のために、世界で最も魅力的なイベントの1つとなっています。このままお読みになり、ヴェネツィアの先祖の生活を感じる魅力的な窓を開けてみてください。

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今日、サン・マルコ広場は、多くのヴェネツィアのカーニバルのイベントが開催される場所です。
今日、サン・マルコ広場は、多くのヴェネツィアのカーニバルのイベントが開催される場所です。

ヴェネツィアのカーニバルの歴史

ヴェネツィアのカーニバルには長い歴史があり、少なくとも12世紀にまでさかのぼります。ヴェネツィアでパーティーを開く多くの理由のうち、最も初期の理由はおそらく自由を祝うことでした。

1162年、ヴェネツィア共和国は、ヴェネツィアを神聖ローマ帝国の一部にしようとしたアクイレイアのウルリッヒを打ち負かしました。勝利を収めたヴェネツィア軍はウルリッヒを捕虜にし、城を破壊しました。教皇が介入すると、ウルリッヒは牡牛1頭、豚12頭、パン300斤をヴェネツィアに毎年支払うことと引き換えに釈放されました。ヴェネツィア人は、サン・マルコ広場で公的な式典として、その戦利品を調理して食べ、何時間も踊り、ごちそうを楽しみました。このようにして、その後何百年もの間カーニバルの一部であり続けてきた市民の祝宴と踊りが始まりました。

ヴェネツィアのカーニバルにはどのようなカトリックの意味がありましたか?

イタリアのカーニバルは、古代ギリシャとローマの春のお祝いから生まれた可能性がありますが、キリスト教が地中海全体に広がるにつれて、カトリック教会はカーニバルの意味を変更し、カーニバルをカトリックの儀式に当てはめました。カトリックの伝統では、カーニバルは四旬節が始まる前に祝われます。四旬節とは、復活祭までの40日間の断食と犠牲の期間です。カーニバルは、四旬節の間に必要とされる犠牲の前に、食べたり、飲んだり、陽気に過ごしたりする機会でした。

イタリア語のcarnevaleはラテン語のcarne valeに由来し、「肉に別れを告げる」という意味です。2週間のカーニバル期間中、ヴェネツィア人は四旬節の前に肉を贅沢に楽しみ、抑制を緩めることができました。四旬節は灰の水曜日に始まり、聖木曜日に終わります。それはカーニバルの後、ヴェネツィア人が伝統的に自分の人生を熟考し、悔い改め、復活祭の準備をする時期です。

ルネッサンス期のヴェネツィアのカーニバル

ヴェネツィアのカーニバルを描いた18世紀の絵画
ヴェネツィアのカーニバルを描いた18世紀の絵画
ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ、パブリックドメイン、Wikimedia Commonsより転載

カーニバルは中世からルネッサンスにかけて人気がありました。ヴェネツィア元老院(訳者注:古代ローマの統治機関)による1296年の宣言は、ヴェネツィアのカーニバルに関する最古の文書による証拠です。その宣言で、四旬節が始まる前の公共の祭りが発表されました。

ルネッサンス期には、仮面をつけたパフォーマーが街の広場で人々を楽しませました。そこでは、あらゆる地位や信条の人々がしばしば仮面の陰に隠れて、食事をしたり、踊ったり、パレードをしたり、パフォーマンスをしたり、楽しんだりしました。ヴェネツィアのカーニバルの人気は、17世紀と18世紀にピークに達したと思われます。当時、精巧でまるで神秘的なお祭りや衣服、仮面にヨーロッパ中から人々が集まりました。

200年ぶりに復活したヴェネツィアのカーニバル

しかし、ヴェネツィアのカーニバルは1797年に神聖ローマ皇帝フランツ2世によって非合法化されました。なぜヴェネツィアのカーニバルは禁止されたのでしょうか?フランツ2世は、カーニバルの仮面の裏で政敵が組織化されていると考えていました。政府は敵が転覆を企てていることを恐れ、カーニバルと仮面を全面的に禁止しました。

ヴェネツィアのカーニバルを禁止することで、大規模な集会の数が減り、仮面を禁止することで、ヴェネツィア人が身元を隠すことは違法になりました。イタリアのカーニバルのそのままにされた歴史のために、ヴェネツィアはほぼ200年間、カーニバルの伝統を彼らの文化に再び迎え入れることをしませんでした。

ついに1979年、イタリアの文化と観光に新たな命を吹き込もうとする政府と市民団体が、カーニバルを復活させました。今日、きらびやかなヴェネツィアのカーニバルは世界中から観光客を呼び込み、2月と3月の2週間、ヴェネツィアは完全に身元を隠してすべてが可能に思える大きな舞台になります。

ヴェネツィアの仮面-その神秘性

有名なヴェネツィアの仮面は、ヴェネツィアのカーニバルの中心的な存在です。これらの大げさなほどに美しさと想像力に富んだ作品は、多くが手作りで、いたるところにあり、神秘性を持たせ、不思議な力を漂わせています。ヴェネツィアのカーニバルが本来の神秘性で再浮上したのも不思議ではありません。仮面は見た目もすばらしいですが、美しさだけが目的ではありません。

ヴェネツィア人はヴェネツィアのカーニバルで身元を隠すために仮面を着用しました。ほとんどの貴族は、市民に気付かれ、パーティーに通ったり、貴族以外の人々と付き合ったりしていると思われることを望みませんでした。仮面で隠すと、あらゆる社会階級のヴェネツィア人が平等に交流することができました。

その結果、多くのヴェネツィア人はカーニバルだけでなく、特定の時期に外出するときはいつでも仮面を着用しました。伝統的に、仮面は聖ステファノの日(12月26日)からカーニバルの終わりである告解(訳者注:主にカトリック教で行われる、神の赦しを求める儀式)の火曜日までの間にのみ許可されていました。また、10月5日からクリスマスまでの間も仮面の着用を地元の指導者が許可することもあり、人々は一年の大半を仮装することができました。

仮面の期間には、ヴェネツィア人はあらゆる機会のための仮面を持っているようでした。無地の白や黒の日常用の仮面は、特別な日のために鮮やかな仮面に交換することができました。ヴェネツィア人の間で最も人気のある仮面は、カーニバルマスクとコンメディア・デッラルテ・マスクとして知られていました。1545年にさかのぼる喜劇「コンメディア・デッラルテ」では、特定の登場人物や物語を表現するために仮面が使われました。

ヴェネツィアのカーニバルで衣装を身にまとい、ユニークなカーニバルの仮面をかぶった人々のグループ
カーニバルマスク
多くのカーニバルマスクは、明るく鮮やかな色で、華やかなデザインと複雑な装飾が施されています。顔全体、または目と鼻のみ、または目のみにすることができます。
ヴェネツィアのカーニバルで仮装に身を包み、グナガの仮面をかぶった人
グナガマスク
グナガまたは猫のマスクは、イタリアのカーニバルに登場する数少ない動物の仮面の1つです。この仮面のルーツはカーニバルの初期にさかのぼり、ヴェネツィアでは猫が珍しく貴重な光景だった時でした。
ヴェネツィアのカーニバルで衣装に身を包み、装飾されたペスト医師マスクをつけた人
ペスト医師マスク
ペスト医師マスクは、象徴的な長いくちばし状の鼻を持ち、恐らくヴェネツィアの仮面の中で最も不気味です。長い鼻はもともと、ペストの間、病気を運ぶ悪い空気から医師を守るために考案されたものです。
ヴェネツィアのカーニバルで仮装をしてアルレッキーノの仮面をつけた人
アルレッキーノマスク
アルレッキーノは、ハーレクインマスクとも呼ばれ、ヴェネツィアのカーニバルで着用される最も人気のある仮面の1つです。仮面は、詐欺師や宮廷道化師など、コンメディア・デッラルテのならず者の登場人物を表しています。その装飾は通常、カラフルなダイヤモンドの形をしています。
衣装に身を包み、バウタマスクをかぶったヴェネツィアのカーニバルの人
バウタマスク
ヴェネツィアのカーニバルの最も伝統的な仮面または「顔」はバウタマスクです。真っ白で、頭蓋骨を連想させ、一般的に磁器や厚いプラスチックでできていて、少し怖いかもしれません。口の位置に隆起があるため、着用者はそれを外さずに食べたり飲んだりすることができます。通常、黒い三つ角の帽子、そして黒いマントまたはシルクのショールと共に着用します。
ヴェネツィアのカーニバルで仮装に身を包み、コロンビーナの仮面をかぶった人
コロンビーナマスク
コロンビーナマスクは、コンメディア・デッラルテの登場人物、コロンビーナに基づいています。コロンビーナのキャラクターは知的な侍女で、通常ぼろきれに身を包んでいながらも美しい仮面をかぶっていました。この仮面は女性に人気があり、ハーフマスクとして着用され、精巧な羽根、宝石、金銀箔で装飾されています。

仮面作りの芸術

仮面作りの黎明期、この仕事は尊敬される芸術でした。ヴェネツィアの仮面職人(マスケラーリ)は大きな尊敬を集め、独自のギルドを持っていました。彼らはガラス、磁器、革、または張り子で精巧なカーニバルの仮面を作りました。デザインはいつもカラフルでユニークでした。金箔、本物の宝石、羽根、レース、そのほかの高価な素材がしばしば付け加えられました。

現在、仮面は張り子やプラスチックで作られており、何度も使用できる粘土や石膏の鋳型から取られています。現代の技術により、仮面ははるかに簡単に作れます。基本的な仮面が乾き、アイホールやそのほかの顔の特徴がカットまたは形作られたら、塗装して装飾します。絵を描くだけでも、多くの異なる絵筆や色を使う、繊細で時間のかかる作業になります。

何世紀にもわたって、マスケラーリには多くの企業秘密があり、さらに仮面を所有することの神秘性と楽しみが増してきます。カーニバルの仮面を選んだり飾ったりすることは、ヴェネツィアの文化とつながるすばらしい方法です。

ヴェネツィアのカーニバルでは何が起こりますか?

ヴェネツィアのカーニバルは、パレードからプライベートパーティー、ストリートシアターやオペラからただ通りすがりの人々を眺めるなど、何百もの活動から構成されています。ヴェネツィアの人々は派手な服装と手の込んだ仮面でドレスアップして祝いますが、多くの観光客はその光景を見るだけで楽しんでいます。カーニバルのシーズン中にヴェネツィアに旅行する観光客は、オプションのほんの一例として、パレードや仮面パーティーへの参加や、ゴンドラ船に乗ることができます。

ヴェネツィアのカーニバルでのストリートシアターパフォーマンス
ヴェネツィアのカーニバルでのストリートシアターパフォーマンス

パレードとストリートショー

ヴェネツィアのカーニバルには、多くのパレードやストリートショーが含まれており、伝統的なヴェネツィアの衣装や仮面を特色としています。イベントには、ベストマスクコンテスト、カーニバルコスチュームショー、カーニバルウォーターパレード、サーカスシアターとアクロバット、マリアたちの行進(9世紀にまでさかのぼる美人コンテストとパレード)が含まれます。宝探し、コンサート、舞踏会、ディナークルーズなどは、スケジュールに載っている他のイベントのほんの一例です。

仮面パーティー

数え切れないほどのパーティーや集会がヴェネツィアのカーニバルシーズン中にヴェネツィア中の訪問者を楽しませます。仮面舞踏会など、ドレスコードがあり、招待者のみか入場料の高いプライベートなものもあります。

また、サン・マルコ広場や市内の他の広場では公のパーティーやイベントもあり、それらは無料または低料金です。プライベートでも公のものでも、この日の美しい装いは、フリルのついたハイカラーやふわふわの袖など、男女ともに18世紀の高級品です。そしてもちろん、仮面も含みます。

ゴンドラ船

大運河のゴンドラ船は、ヴェネツィア最大のアトラクションのうちの1つです。カーニバルの週には2倍の楽しみがあります。ボートでお祭り騒ぎを見ている場合でも、乗客としてショーに参加している場合でも、ゴンドラ船はカーニバルの雰囲気に夢中になる魅力的な方法です。ゴンドラ船は個人でも誰かと一緒でも、音楽のありなしにかかわらず楽しむことができます。

家族向けのゴンドラもあり、ゴンドラの船頭は物語を語り、歌を歌って家族全員を喜ばせてくれます。料金は、時間の長さ、時間帯、人数によって異なり、高額になる場合があります。ほかに水路旅行のはるかに安い選択肢として、市バスのような大きな運河のボートであるトラゲットがあります

ヴェネツィアの川を進むゴンドラのパレード

ヴェネツィア人の先祖を見つける

ヴェネツィアのカーニバルは楽しさと笑いに満ちています。カーニバルの歴史は、仮面パーティーやパレードに対するヴェネツィア人の愛情を包含しています。お祭りには、中世にさかのぼるヴェネツィアの歴史の名残と、今日まで崇拝されている芸術と音楽が織り込まれています。先祖が関わった歴史的な出来事について学ぶことは、先祖が見たものを見ることで、時空を旅する興味深い方法です。

ヴェネツィアのカーニバルへの旅は、それが実際のものであれバーチャルのものであれ、無料の非営利サイトであるファミリーサーチから始めることができます。ファミリーサーチは、自分の家族について知っていることを活かして、先祖の人生をより深く掘り下げるのに役立ちます。共有の家系図は、自分の家系についてすでに分かっている情報を確認するのに役立ちます。また、先祖の生涯を他の歴史的な出来事と関連付けることもできます。これらは、すべて無料で行えます。




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Daryna Mykhailychenko