家族歴史の核心をつく家族のストーリー

family stories

4年前にファミリーサーチで働き始めたとき,わたしは家族歴史に関して全くの初心者でした。「情報源」,「結論」,「理由の表明」といった言葉の意味を全く理解できず,引き込まれるどころか気持ちは離れるばかりでした。幸いなことにそのような気持ちは長続きせず,その後は家族歴史をずっと快適に感じられるようになりました。何が違いをもたらしたのだと思いますか。それは,ストーリーだったのです。もっと正確に言えば,家族のストーリーでした。ワードやステークでの家族歴史活動への参加率を上げるには,特に指導者といった共に働く人々とともに,同様の思考の転換をする必要があるのかもしれません。

インパクトのあるストーリーを見つけられるように人々を助ける

家族歴史について他の人と話すときはいつでも,有意義な家族のストーリーとそれを知った経緯を分かち合うようにしています。皆さんも同じようにできます。そういったストーリーは,自分自身の家族歴史からでも,他の人の家系から調べた一つか二つのストーリーからでも良いでしょう。

個人的なストーリーの一例として,わたしの父の話をご紹介しましょう。父は第二次世界大戦中,爆撃機で空を飛んでいたときに撃たれてしまい,約6,000メートル上空からパラシュートで脱出して生き延びたのです。家族の親睦会では,そういった類いのストーリーが若い人々の興味を引きます。けれども,全てのストーリーがインパクトを与える劇的なものである必要はありません。ストーリーは古い日記や写真の入った箱,その他の家族の思い出となる品から見つけることができるでしょう。幸先の良い第一歩としてファミリーサーチのファミリーツリーがあります。既にそこには,何万ものストーリーがアップロードされ,保存されているからです。わたしに分かったことは,皆さんはただ「おばあちゃんについて,どんなことを憶えているの?」と聞くだけでいいということです。直ぐにさまざまなストーリーがあふれ出てくることでしょう。

生きている人の思い出を忘れない

上述したように,皆さんの家族のうち,年齢を重ねた生きているご家族は,家族のストーリーのすばらしい情報源となります。ワードとステークの会員が,家族の中でストーリーを知っている人々を見い出だせるよう助け,手遅れになる前にできる限り多くのストーリーを記録するよう励ましましょう。最近の家族の集まりでおばと一緒にいたときに,わたしもこのことを実行しました。おばは,父が戦闘中に行方不明になった知らせを,母が受け取ったときの話をしていました。わたしは携帯電話をつかみ取ると,ファミリーサーチ・ファミリーツリーのアプリを開き,おばの言葉を録音したのです。これで,将来の世代もこのような瞬間を利用できるようになります。

わたしにできるなら,皆さんが働きかけている人々にもできるはずです。ワード内の多くの人々,特に青少年は小冊子,『わたしの家族―わたしたちを一つにする思い出』にこういったストーリーを記録することができます。このようなストーリーは,FamilySearch.org/myfamilyでも入力でき,そこで同じ家系図内の他の人と共有することができます。

好循環

皆さんとともに働く人々がストーリーを通して,ひとたび先祖へのつながりを感じるなら,彼らは家族のストーリーを肉付けする名前や日付,場所を見つけるための技術的な方法を学ぶことにより関心を持ち,進んで取り入れるようになることでしょう。こういった取り組みによって,ファミリーツリーへの枝がさらに加えられ,間違いなくさらなるストーリーを見い出すことになるでしょう。こういったこと全てが,神殿の祝福を待っている先祖を探す機会を増やすことにつながるのです。

皆さんが,ワードやステークの会員とともに働くとき,家族のストーリーの価値を忘れることのないようにしましょう。わたしは個人的な経験から,良い家族のストーリーが先祖にどれ程心を向けさせることができるかを知っています。皆さんが他の人々のために,そのようなつながりを感じられる機会をもうけるなら,神殿儀式用に準備された名前,神殿に提出された名前,他の人に同じようにする方法を教える会員など,他の分野での進歩を目にするようになることでしょう。これが,全てのストーリーへの最高のハッピー・エンドなのです。

 

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